熊野詣の宿場として賑わった和歌山県湯浅町
古代から中世にかけて高まった熊野信仰。大勢の参拝客が「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の3神社=「熊野三山」を目指しました。
「熊野詣」には様々な身分の参拝客が行き交い、人でごった返す様子は「蟻の熊野詣」と言われたとか。
湯浅町は京都・大阪方面から「熊野三山」に向かう参拝客の宿場として発展しました。湯浅町を通る古道の名は「紀伊路」(きいじ)。その路はいまでも、いにしえの雰囲気を色濃く感じさせます
「熊野詣」には様々な身分の参拝客が行き交い、人でごった返す様子は「蟻の熊野詣」と言われたとか。
湯浅町は京都・大阪方面から「熊野三山」に向かう参拝客の宿場として発展しました。湯浅町を通る古道の名は「紀伊路」(きいじ)。その路はいまでも、いにしえの雰囲気を色濃く感じさせます
熊野古道散策モデルコース~JR紀伊宮原駅を出発
散策はJR紀伊宮原駅※からスタート。かつて「暴れ川」と恐れられた「有田川」に架かる宮原大橋を渡り、「得生寺」(とくしょうじ)へ向かいます。
※紀伊宮原駅(きいみやはらえき):和歌山県有田市宮原町滝川原にある駅。JR西日本・紀勢本線(きのくに線)の列車が停車する。和歌山駅から36分。
※紀伊宮原駅(きいみやはらえき):和歌山県有田市宮原町滝川原にある駅。JR西日本・紀勢本線(きのくに線)の列車が停車する。和歌山駅から36分。
「得生寺」にゆかりがあるのが「中将姫」。その人徳は、自分を殺しにきた武士を改心させるほどだったそうです。姫の命日・5月14日には会式が行われ、式の中の「二十五菩薩の練り供養」という儀式が県の無形民俗文化財に指定されています。
古くは万葉集に詠まれ、作家・有吉佐和子が小説『有田川』の舞台にした糸我(いとが)の里にある、「得生寺」界隈。さらに歩くと「糸我王子」(いとがおうじ)、その先は「糸我峠」です。山肌にはだんだん畑があり、5月には花の香りも楽しめます。
「糸我峠」の急な下り道を過ぎると目の前が開け、湯浅町方面の景色が広がります。山間にひらける湯浅湾の眺めは絶景。その先が「逆川王子」(さかがわおうじ)です。
藤原定家※が記した『御幸記』(ごこうき) でも紹介された「逆川王子」。近辺の川は西向き流れがほとんどだったのですが、この「逆川王子」近くの川だけが東へと流れていたため、「さかさの川」→「逆川」と呼ばれるようになったとか。
※藤原定家(ふじわらのさだいえ/ふじわらのていか):平安時代末期から鎌倉時代初期の公家・歌人。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰(せん)した。
藤原定家※が記した『御幸記』(ごこうき) でも紹介された「逆川王子」。近辺の川は西向き流れがほとんどだったのですが、この「逆川王子」近くの川だけが東へと流れていたため、「さかさの川」→「逆川」と呼ばれるようになったとか。
※藤原定家(ふじわらのさだいえ/ふじわらのていか):平安時代末期から鎌倉時代初期の公家・歌人。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰(せん)した。
さらに進むと「弘法(こうぼう)井戸」があります。この井戸には「弘法大師※が杖で突き、水が湧いた」という伝説も。その先が「方津戸(ほうづと)峠」。
※弘法大師:空海。平安時代初期の僧で真言宗の開祖。
※弘法大師:空海。平安時代初期の僧で真言宗の開祖。
方津戸峠を下れば湯浅の町です。
山田川沿いを歩き、北栄橋(ほくえいばし)を渡れば、目の前が伝建地区です。
熊野古道から湯浅町内 ―― 伝建地区へ
海運業や醬油醸造を中心に栄えた和歌山県湯浅町。伝統が息づく歴史的景観は平成18年(2006年)、国から「重要伝統的建造物群保存地区」(伝建地区)に選定されました。
「通り」と「小路」(しょうじ)で構成された市街地の地割、漆喰塗や板張り、重厚な本瓦葺の屋根など意匠が見られる建造物が醸造業の歴史を伝えます。甘味処や菓子屋、魚屋など風情のある商店が並び、醬油・味噌・みかんといった特産品も購入できるとあって、年間5万人を超える観光客で賑わいます。
生醬油(きじょうゆ)を焚きあげる煙が煙突から立ち昇り、麹(こうじ)や醬油の香りが漂う町並みを舞台にした醬油醸造のストーリーが、醬油のテーマとして全国で初めて「日本遺産」※に認定。湯浅町は「美味しい日本遺産」ともいわれます。
※『「最初の一滴」醬油醸造の発祥の地 紀州湯浅』として平成29年に認定。
「通り」と「小路」(しょうじ)で構成された市街地の地割、漆喰塗や板張り、重厚な本瓦葺の屋根など意匠が見られる建造物が醸造業の歴史を伝えます。甘味処や菓子屋、魚屋など風情のある商店が並び、醬油・味噌・みかんといった特産品も購入できるとあって、年間5万人を超える観光客で賑わいます。
生醬油(きじょうゆ)を焚きあげる煙が煙突から立ち昇り、麹(こうじ)や醬油の香りが漂う町並みを舞台にした醬油醸造のストーリーが、醬油のテーマとして全国で初めて「日本遺産」※に認定。湯浅町は「美味しい日本遺産」ともいわれます。
※『「最初の一滴」醬油醸造の発祥の地 紀州湯浅』として平成29年に認定。
北栄橋を右折、5分も歩けば「大仙堀」(だいせんぼり)です。
「大仙堀」は江戸時代から明治にかけて、醬油や原料を積み降ろす船の停泊場所でした。
湯浅町で現役で稼動する最古の醬油蔵「角長」(かどちょう)※の建造物が堀に沿って建ち並び、歴史を感じさせます。
※角長の仕込蔵は天保12年(1841年)建造。以来、建て替えなく使われている。
来た道を少し戻り、「北橋」の対面を右折すると伝建地区に入ります。
「大仙堀」は江戸時代から明治にかけて、醬油や原料を積み降ろす船の停泊場所でした。
湯浅町で現役で稼動する最古の醬油蔵「角長」(かどちょう)※の建造物が堀に沿って建ち並び、歴史を感じさせます。
※角長の仕込蔵は天保12年(1841年)建造。以来、建て替えなく使われている。
来た道を少し戻り、「北橋」の対面を右折すると伝建地区に入ります。
伝建地区にはギャラリーがあります。
写真は「大仙堀」から3分くらいの町角にある「北町ふれあいギャラリー」。
写真は「大仙堀」から3分くらいの町角にある「北町ふれあいギャラリー」。
「北町ふれあいギャラリー」には湯浅町の観光パンフレットも置かれています。
【北町ふれあいギャラリー】
開館時間:午前9時~午後5時
休館日:水曜日、年末年始(水曜日が祝日の場合はその翌日)
【北町ふれあいギャラリー】
開館時間:午前9時~午後5時
休館日:水曜日、年末年始(水曜日が祝日の場合はその翌日)
伝建地区の縦横に通るのが「小路」。
町並みの特徴となる生活道路です。
「北町ふれあいギャラリー」から約5分で「深専寺」(じんせんじ)。
門や本堂は県の文化財に指定されています。
屋根を飾るのは「しゃちほこ」。「火事がおきたら水を噴く」守り神だとか。
門の左には「地震と津波の碑」(大地震津波心得之記碑)も。
屋根を飾るのは「しゃちほこ」。「火事がおきたら水を噴く」守り神だとか。
門の左には「地震と津波の碑」(大地震津波心得之記碑)も。
「地震が起きたら火に用心し、天神山に避難せよ」など、善徴上人(ぜんちょうしょうにん)による戒めの言葉が刻まれています。
「熊野古道」は、そのほとんどが山や林、居住地域の小道。写真のように商店街を抜けるのは湯浅町の区間だけだとか。
「深専寺」から1分も歩けば「立石道標」(たていしどうひょう)。
道町通りと寺町通りの交差点にある、高さ約2mの道標です。
夜になるとライトアップされるとか。
道町通りと寺町通りの交差点にある、高さ約2mの道標です。
夜になるとライトアップされるとか。
「立石道標」の斜向かいが旧堀田茶舗を改築した無料休憩所、「立石茶屋」です。
ここから5分も歩けばJR湯浅駅。
ここから5分も歩けばJR湯浅駅。
終点です。
おつかれさまでした。
おつかれさまでした。
1000年の歴史を歩く8.5km
古代の趣をたたえる「熊野古道」から江戸・明治・大正・昭和といった近代の歴史を色濃く残す湯浅町への散策コース、いかがでしたか? 昔の参拝客も、私たちとおなじ山並や名所、湯浅湾の景色を眺めながら熊野三山に詣でたのかと思うと ―― 1000年以上も昔の時代や人々が急に近しく感じられ、おごそかな気持ちにもなりますね。
今回、ご紹介したスポットはほんの一部。ほかにも伝説や謂れがある名所が多数、季節ごとに違った花や香り、景観が楽しめます。湯浅町では四季折々の祭りやイベントを開催。特産品の販売や季節限定グルメのふるまいで賑わうとか。
なお、今回の散策コース。全長はおよそ8.5kmあり、景色や名所をゆっくり楽しみながら歩くと3時間~4時間の行程です。険しい山道はありませんが、歩き易い靴がおすすめ。コンビニや売店はないので、お飲み物や散策グッズは出発前にご用意を。お手洗いは要所ごとに設置されています。
今回、ご紹介したスポットはほんの一部。ほかにも伝説や謂れがある名所が多数、季節ごとに違った花や香り、景観が楽しめます。湯浅町では四季折々の祭りやイベントを開催。特産品の販売や季節限定グルメのふるまいで賑わうとか。
なお、今回の散策コース。全長はおよそ8.5kmあり、景色や名所をゆっくり楽しみながら歩くと3時間~4時間の行程です。険しい山道はありませんが、歩き易い靴がおすすめ。コンビニや売店はないので、お飲み物や散策グッズは出発前にご用意を。お手洗いは要所ごとに設置されています。